エストニア・デジタルガバメント視察研修レポート

エストニア・デジタルガバメント視察研修レポート
守田健太朗

2019年10月14日(月)から18日(金)、三菱UFJリサーチ&コンサルティングプロデュースによる、エストニア・デジタルガバメント視察研修が実施された。エストニアの首都タリンにおいてデジタルガバメントに関する講義、関係機関及び企業訪問、現地関係者との懇親会を通して、エストニアでなぜデジタルガバメントが成功したのか、どのような背景、法律・政策・技術的な要因があるのかを理解できるような研修に設計された。

ツアープログラム

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プログラム概要

10月14日(月)
デジタルガバメントの基盤インフラである電子ID、電子署名、情報交換基盤Xロードの概要説明および電子行政サービスの調達の手段など、民間企業とエストニア政府の官民連携の歴史、問題及び展望に関する講義。デモを通じてどのように市民はサービス利用するのか、実践的に見る機会も。

10月15日(火)
デジタルガバメントの一つの重要な側面は法規制の設計である。弁護士兼大学教授によって、どのような思想で設計されているのかの説明。首相府を訪問し、ハイレベルの官僚より、どのように閣僚がデジタルサービスを利用し意思決定しているかのレクチャーと、実際使われている閣議室での体験。また日本展開を画策しているスタートアップ企業や、欧州諸国でエストニアのデジタルガバメントサービスに類似したサービスを展開するIT企業との議論も実施。

10月16日(水)
政府の登記情報(特に法人登記)を主管する省庁から、これまでどのようにサービスを開発してきたか、またどのようにアジャイルな手法を徹底しているかについての説明。その後、元改革担当大臣より、デジタルガバメント導入前の独立から国家を再建した改革及び当時の政治情勢の説明、そして医学研究者による詳細なEヘルスシステムの講義。

10月17日(木)
統計庁長官からの説明は、最近のオープンデータの改革、政策立案者がデータに基づく意思決定をしやすい新しいシステム等について。また、タリン工科大学を訪問し、官民連携イノベーションセンターの活動、デジタルガバメント修士号を取得した日本人の元学生から大学院教育に関する説明。

10月18日(金)(半日)
スタートアップのプロトタイプ作成支援の投資プログラムを提供する、イノベーション施設の活動に関する講義(同施設内にて)。エストニアのデジタルガバメントのサービスの多くを作った企業の社長から、政府と長く働いたリアルな経験、中東及びアフリカへの進出の状況の説明を受けた後、デジタルガバメント導入初期の元法務大臣から当時の状況についての説明。

なぜエストニアなのか?

そもそもなぜエストニアでの視察研修なのか?エストニアでは、99%の行政サービスがデジタル化されており、税金の申告、企業の登記などのあらゆる手続きがオンラインで実施可能だ。個人の確定申告も数分で完了する。また医療情報はオンラインでアクセスし、異なる病院でも簡単に活用し、処方箋は99%デジタルで発行されている。唯一デジタルで手続きが行うことができないのは結婚、離婚、不動産の売買だけである。2007年には国政選挙において世界初のインターネット投票を導入し、さらに2014年に世界で初めてエストニアに居住しない他国市民に対して国が発行するオンライン上での居住権を付与する「Eレジデンシー」プロジェクトも開始した。徹底された電子化及び先進的なプロジェクトの実施により、エストニアは世界のデジタルガバメントの最先進国の一つといっても問題ないだろう。

またエストニアはスタートアップ分野でも有名である。人口一人当たりのスタートアップ数では欧州1位である。スカイプの創業時エンジニア4人はエストニア人であり、エストニアでプロダクトが開発された。2005年にスカイプがeBayに買収された際に、1億ユーロがエストニア国内に流入し、それをもとに創業者エストニア人エンジニアが設立したファンド、スカイプの元従業員たちがエストニアでのアントレプレナーシップ醸成に大きく貢献した。現在エストニアでは約650社のスタートアップ企業が存在し、2018年には3億2800万ユーロの投資がエストニア企業に流入していた。

 エストニアは九州と沖縄を足したくらいの領土に約134万人の住民しかいない。またエストニアには資源はほとんどなく、さらにソ連からの独立回復時、国内産業は衰退し国内資本も非常に衰退していた。一般的な行政サービスを市民に提供することすら困難な状況であった。そのため限られた資源を効率的、効果的に利用するためにデジタルガバメントを作り上げた、という現在のエストニアの成功ストーリーは記事でも見るようになってきてはいる。しかし実際に一体どのような意思決定、プロセス、法律および政策の設計、技術的な設計、民間企業とのプロジェクトが存在したのだろうか。また、なぜエストニアでは同時にスタートアップエコシステムが成長し続けるのか。これらを多角的に理解することを目的に、今回エストニア・デジタルガバメント視察研修を実施した。

e-Governance Academy(eGA)との協働

同研修はエストニアのシンクタンク、コンサルティング組織であるe-Governance Academy(eGA)とともに設計した。eGAは、コンサルティング、トレーニング、ネットワーキング、研究、電子政府技術ソリューションの実装を支援することによって。2002年に活動を開始して以来、130以上の組織と協力し、4,000人以上の職員を訓練、90カ国以上で電子政府の政策立案と実施、組織設立、法律と技術の枠組と管理に携わってきた。彼らの抱える専門家及び、ネットワーキングを利用して電子政府導入時の意思決定者、国会議員及び政府CIO、現職の電子政府の重要機関の専門家を講師として招き体系的にエストニアの電子政府に関して学ぶことが可能なカリキュラムに設計した。また弊社がコネクションを持つ電子政府のサービスを開発したエストニアIT企業との議論の場を設けたことにより、民間企業目線でも電子政府を理解できるようにし、エストニアのスタートアップ企業及びIT企業の現在を理解できるよう投資庁、スタートアップ企業、コワーキングスペース、インキュベーション施設とのセッションも設けた。(右写真はe-cabinet訪問の様子)

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研修の魅力

エストニアの電子政府の技術的な重要構成要素であるIDカード及び情報交換基盤Xロード、これらをベースに提供される異なるデジタル行政サービス(企業登記、Eヘルス等)、関連する法整備に関する解説は、エストニアの電子政府を理解する上で必須である。しかし、研修プログラム参加者から「現地でしか感じられない」とフィードバックを頂いたのは、電子政府を推進する際の哲学、そして政治情勢の生の声、政府とともに仕組みを作り上げた民間IT企業の実際の経験に関する説明であった。
 
元改革担当大臣(現eGA専門家)からは、独立当時の憲法制定、政治闘争、当時の国のビジョン、目指した民主主義などの、電子政府関連の政策を開始する前のエストニアという国の土台がそもそもどのように作られたかに関して、当時国の改革担当トップとしての実体験をもとに説明があった。また、元法務大臣(現エストニアIT企業役員)より、在任期間であった2005年から2011年というエストニアの電子政府化が加速した時期の規制改革、様々な問題に関して、時には当時を批判的にとらえながら、現在と過去の電子政府の実態について講義を受けた。現職の官僚及び政治家による説明とは違い、歴史を実際に経験した声であることから参加者にとっても興味深いものになったと考える。

デジタルガバメントの「アナログ」の部分の重要性

政府の語る成功ストーリーと民間企業のストーリーは多少異なる。リアルを知るために、実際これまで多くの電子政府サービスを作ってきたエストニアIT企業数社とも意見交換の場を設定した。企業側からは、政府とともに作り上げたプロセスでの問題点及びエストニアでの公民連携の実態等の生の声を聴くことができた。これらの企業はエストニアでの成功をもとに欧州だけでなく、アフリカや中東へも進出しており、類似サービスを他国で展開した際の成功談及び困難であった点を共有してくれた。

エストニアのデジタルガバメントの技術的なインフラ等の情報は、政府機関や論文を読むことである程度理解することは可能である。しかし彼らの言うデジタルガバメントの「アナログ」の部分、つまり政策、法規制、政治、文化、歴史、哲学といった背景は実際に経験した当事者でしか語れないことである。日本でのデジタルガバメントを推進するにあたって、この先人たちの「アナログ」分野の経験は、日本の文脈に当てはめて考える際に非常に役に立つのではないだろうか。

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大手IT企業訪問の様子

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三菱UFJリサーチ&コンサルティング
ソーシャル・インパクトパートナーシップ事業部
マネージャー
守田 健太朗

外資IT企業で勤務後、2016年5月から2018年5月まで、在エストニア日本国大使館専門調査員(政務・経済)としてエストニアの経済・電子政府を主担当、政務・教育・文化を副担当。
2018年8月より2019年5月まで、日エストニアスタートアップ企業で事業開発、日エストニア間パートナーシップ構築に関わる。2019年8月より現職。